■ 茶道久田流(有栖川系) ■

<敬称略>

家 元 創 流 代数
松長剛山 no data 13世


 久田宗栄(生々斎・1780〜1849)→久田栄甫(1817〜1883)→下村哉明(1832〜1916)→下村実軌
(1873〜1943)→上田義山(高桐院)→松長剛山(高桐院) 

茶道久田流宗全会  

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 久田宗栄(生々斎)は林宗繁といい、久田宗参の内弟子となったが故あり師門を離れる。有栖川宮家に出仕していたことから、その命により久田宗栄と改名。ここに有栖川系とするいわれが生じた。
 その子久田栄甫は宗栄の後継となり、尾張地方に久田流を広め、家元を下村哉明に譲る。哉明は当代一の茶の湯者であったことは誰しも知るところである。哉明は三男下村実軌(みつのり)に家元、並びに西行庵を譲るが、実軌は戦時中に他界したため久田流苦難の時期が始まる。
 結局有栖川宮家との関係で、有栖川系の家元を京都高桐院上田義山師にあずかってもらい、義山老師の後継松長剛山師がその後を継ぎ、今日に至る。
 従って強いて言うならば現家元は宗栄より数えて六代目に当たる。